Silence of the Heart (1)
2021-06-11


目次は下記に掲載してあります。



ロバート・アダムス(Robert Adams 1928 -1997)のSilence of the Heart(ハートの静寂)の本と出会ったのは、1990年代の後半のことだった。アメリカである先生のサットサンに参加したとき、泊めてもらった家の人に、「すごくシンプルで、いい瞑想法がある」と紹介されたのが、ロバート・アダムスのIAm瞑想で、私はすぐに興味を惹かれた。

そして、その瞑想法がロバート・アダムスの本、Silence of the Heartに詳しく掲載されていると知り、本を早速購入し、IAm瞑想の箇所だけを素早く読み、それ以来時々IAM瞑想をやるようになり、とても簡単でいい瞑想だと思ったので、他の人たちにも紹介してきた。

しかし、その瞑想法の説明以外の箇所は、少し読んだだけで、購入してから長い間、ほとんどSilence of the Heartを私は読まなかった。その理由は――ロバート・アダムスは、彼のワークの基本に、「私とは誰か? 私とは何か?」と問う、「自己問いかけ」をおいている。なので、本書でも、自己問いかけのやり方、その意義についてかなりのページを費やして、彼は語っている。「自己問いかけ」について、これ以上詳しく、わかりやすい説明はないのではないかと思う。

ところが、私は「自己問いかけ」という方法がまったく苦手というか、ほとんどできないのである。私は20代のときに、ラマナ・マハルシの本を読んで、「自己問いかけ」という方法を知り、早々これは自分向きの方法ではないと、あきらめた。

この「自己問いかけ」においては、「私とは誰か? 私とは何か?」という質問には、答えてはいけないことになっている。もし答えたら、その答えはどんな答えであっても、「間違い」である。思考で答えうる答えは、当然のことながら、この質問の答えではないのだ。

しかし、私のマインドは、いったん質問を立てたら、それは答えなければならないというふうに強力にプログラミングされていて(愚)、「答えてはいけない」という質問には近づかないことにしている。無理やりやろうとすると、かえってマインドを静めるどころか、収拾できないほどの混乱に陥ってしまうのだ――ロバート・アダムスの生徒の中にも、「自己問いかけ」に関して、そういう感想を述べた人がいる。

20代の頃、そういうことがわかったので、「自己問いかけ」を一度もやろうとは思わなかった。代わりというか、30代の終わりに、ダグラス・ハーディングが開発した「私とは本当に何かを見る」実験に出会い、そちらのほうがはるかに自分向きだとわかり、長年実践している。

そんなわけで、ロバート・アダムスのSilence of the Heartも、最初はほとんど読まなかった。しかし、前にも書いたことだが、2000年代の前半、私が絶不調だったとき、難しい英語の本がほとんど読めず、そのとき数少なく読めた本が、ジョエル・ゴールドスミスの本とロバート・アダムスの

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