わからない・わかる
2018-04-22


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ニサルガダッタ・マハラジ「意識に先立って」 が発売されました。(ナチュラルススピリット社発行 本文352ページ 本体価格2500円プラス税 本書には目次はありません)

ナチュラルスピリットサイト
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先日の「私は何か」がわからないというご質問に関連して、物事が「わかる・わからない」とはどういうことかについて、私の考えを述べてみよう。

ここでさしあたって物事を5つのカテゴリーに分類しておくことは役立つと思う。

1料理とか語学とか、実用的な知識に関する「わかる・わからない」

2その他この世界の諸々(社会、政治、経済、学問、スポーツ、芸術など)に関する「わかる・わからない」

3人生の哲学的道徳的問いに関する「わかる・わからない」

4人間のマインド・感情に関する「わかる・わからない」

5私の本質に関する「わかる・わからない」

 1に関しては 「わかる・わからない」はそれほど複雑ではない。それは単純に「知識の量」の問題である。
私は昔、中学生、高校生、予備校生に英語を教えた経験がある。生徒の質問は、たとえば、勉強法がわからない、特定の問題をどう解いたらいいかがわからない、どうしてこの英文がこういう訳になるのかわかない等々様々だった。

しかし、生徒の質問の真意を理解し、英語に関する彼らのレベルとどの段階でわからなくなったのかを私が理解しさえすれば、生徒にとりあえず質問の答えを理解させ、納得させることはそれほど難しいことではなかった。このようにテクニカルな問題についての「わかる・わからない」は、本人が勉強するか、先生のような人が正しい説明を提供すれば、たいてい「わかる」ことが可能であろう。

2のカテゴリーの「わかる・わからない」も1と似ていて、「わからない」のは「知識の量」の問題で、ある分野に興味があれば、その分野の本を読んだり、新聞を読んだり、学校へ行ったりして学べば、たいていわかるようになるはずである。このカテゴリーで、「わからない」ということは単純に知識の量が不足しているということだ。

ところが、3、4、5に関する「わかる・わからない」は、1と2ほど単純ではない。どれほど考えても、心理学、哲学、道徳の本を山ほど読んでも、たとえば、「私の生きる目的とは何か?」  とか、「なぜ人は人を殺してはいけないのか?」などの哲学的道徳的問いの答えがわかるとは限らない。

そしてこのブログを読まれている皆さんは、人間の思考・感情面、そしてさらに非二元系の教えに興味をもっている方がほとんどで、人間の思考・感情面を扱った本や、非二元系の教えの本をたくさん読んだことがあると思う。


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