病気の治療と祈り
2018-10-30


 先日、下記のご質問をいただいたので、ダグラス・ハーディング・グラフィック伝記 の本について書く予定を変更して、ご質問へのお答えを書いてみよう。
 
「 関係のない質問で申し訳ありません。私は今病気をしていてそれを良くしたいと思い病院の治療と共に自分でできる「祈り」をしています。でもそのやり方で悩んでいます。 具体的にその病気が治ることをお願いするいわゆる指示的な祈りは良くないと聞いたので「御心のままでありますように。」のような完全受け身の祈りをしているのですがあまり自分の中でピンときません。  自分としては「病気が治りますように。」といった種類の祈りの方が精神的に安定するような気がするのですがどうしたら良いですか? 」
 
まず、私がスピリチュアルなことも含めて、人生で大原則としていることを書いてみると、「他人がよいと言うことではなく、自分がよいと思うこと、自分にとってよいと思うことをやる」ということだ。

もしご質問者が「御心のままでありますように」より、「病気が治りますように」がピンとくるなら、誰が何と言おうと自分にピンとくるものをやったほうがいいはずだと思う。

ただ、私自身は前にも書いたように、昔から「祈る気質」ではないので、「病気が治りますように」のような物質・肉体次元の状況改善のための「嘆願的祈り」(「指示的祈り」ともいう)はやらないし、それよりは「御心のままでありますように」のほうがはるかにピッタリくる。

苦しい病気のときに、 何か聖なるものに祈りたい気持ち、それは私にもよくわかる。私だって、病気の苦痛は大嫌いなのだ。私は肉体の苦痛に対して耐性がかぎりなく小さいので、小さい苦痛ですら、それが起こるときはベッドの上で苦痛にあえいでいる。

では病気(体の具合が悪いとき)のとき、私が何をするかと言えば、自分が知っているかぎりの療法をただ試すだけである――マッサージ、肉体への感謝、食事、健康茶、体操、サプリメント、瞑想、医者にはめったに行かないけど、苦痛が耐えがたいときは医者に行って治療を受け、薬を処方してもらうこともある。おっと、忘れるところでした――QEヒーリングもありました!

私にとっては肉体はパソコンのようなもので、パソコンの具合が悪い(私のパソコンも中年になり、時々わけのわからない不具合を起こす)ときは、優先してその不具合に取り組むのと同じように、老年になった肉体が不具合を起こすときも優先して問題に取り組むことにしている。

それでも、どんな療法も絶対ではないし、効くときもあれば、効かないときもあり、何も効かないときは、泣きながら文句を言いながら苦痛が去ることを待つだけである。もしそんなときに私があえて祈るとすれば、「この苦痛がイヤだイヤだと文句を言っている私をどうかお許しください」というものだ。

ご質問者が書かれている「御心のままに」の本当の意味は、私の理解によれば、病気の場合で言えば、「病気が直るかどうかは、私がコントールできることではない。それは神(全体)の意志によっている。私ができることは、自分ができることを何であれ、瞬間瞬間やることだけだ」ぐらいの意味だ。これは病気に打ちひしがれるとか、あきらめて何もしないという意味ではなく、自分にできるかぎりのことをやって、結果を心配しないという意味である。


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