非二元の教えには本当はグルや先生はいない
2019-03-24


「頭がない男−ダグラス・ハーディングの人生と哲学」発売されました。

*定価:本体価格2,500円+税

*版型:B5版(フラカラー)183ページ

*発行:ナチュラルスピリット


*目次詳細  (原書には目次がないですが、読みやすくするために、日本語版にはつけてあります)


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最近、私のことを「先生」と呼ぶ人が増えて困惑している。私は「私とは本当に何かを見る」会やその他の会を主催している主催者(オーガナイザー) にはちがいないが、自分を「先生」だと思ったことは一度もない。

他の人たちが私をどう呼ぶかは、それぞれの人の自由だし、どうでもいいことにも思えたので、今までは放っておいたが、最近やたらにそう呼ばれることが多くなったので、これは一言書いておいたほうがいいかと思ったしだいだ。

非二元の教えにおいては先生やグルは本当はいない……

一つ目の理由は、非二元の教えの根本は、本質的には「私はあなただ」(主体と対象の融合)であり、よって私はどんな「あなた」とも対等で平等である。これは人間のマインドが好まない真実だが(なぜなら、マインドは階級制度を愛しているからだ)、非二元の教えを生きるとは、私の理解によればこの認識を生きることである。グル‐弟子、先生‐生徒という観念を作ってしまったとたん、そこに微妙に上下関係が生まれるのは避けがたい。

二つ目に、ダグラス・ハーディングが言うように、「私とは本当に何か?」に関して、自分以外に権威者はいず、自分よりも「私とは何か?」についてよりよく知りえる外部の人はいない。ダグラス・ハーディングはいつも言っていた。「私は、ただどこを見ればいいか、その場所を皆さんに案内しているだけです。今日、私は旅行ガイドです」

「旅行ガイド」 という言葉は、彼がワークショップで、時々冗談ぽく使った言葉だった。

それから彼がまたしつこく言ったことは、「見者には階級がない」ということである。「私とは本当に何かを見る」ことは、「今、ここしか」ないので、これを長年見ている人も、この実験の開発者で誰よりも長い経験をもっているダグラス・ハーディングも、今日初めて「私とは本当に何かを見る」人も、「見る(認識する)」ということに関して、毎瞬が初心者であり、だから、マスター(よくできる人)、古参弟子(長年見ている人)、初心者(今日初めて見た人)というような区別がありえないのだ。


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[精神世界]

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