今さらですが、手塚治虫
2019-05-05


ここ二か月ほど、手塚治虫の漫画を読みふけっている。

なぜ今になって、手塚治虫(1928年−1989年)かというと…

たまたま2月に読んだあるインタビュー記事の中に、手塚治虫の漫画に言及があり、ちょっと興味を惹かれたからだ。幸い、図書館に手塚治虫全集が入っている。

実は、子供の頃読んだ「リボンの騎士」、テレビで見た「鉄腕アトム」、大人になって読んだ「ブラックジャック」以外、ほとんど手塚治虫の作品を読んだことがなかった。「ブッダ」、「火の鳥」など手塚治虫の主要作品を読みたいと思いながら、私はお金を出して買ってまで読むほどの漫画の愛好家ではない。

それでこの機会に、主要作品をかたっぱしから読み漁り、「陽だまりの樹」、「ブッダ」、「火の鳥」、その他全部で40冊くらいを読んだ。こんなに漫画を集中して読んだのは、たぶん子供の時以来である。マインドの集中力がいらないので、気軽に読めるのが漫画のいいところである。

改めて驚いたことは、手塚治虫って、こんなに多作で、幅広いジャンルを描いているんだ、ということだ。SF、歴史、子供向け、恋愛、その他。しかも早死である。短い期間に膨大な作品。たぶん、仕事中毒の人だったのだろう。

それからもう一つ驚いたことは、彼は今日のAI(人工知能)時代、そしてこれからやって来るかもしれないAIによる人類支配の時代をはるか昔に予見していたことだ。

彼の作品の中に、人間のように話し、考え、行動し、しかも人間を超える能力をもつ存在――いわゆる人造人間――を創造したいという科学者たちがよく登場する。そして、そういった科学者たちが創造したものが、逆に人類を混乱させる、あるいはどちらがどちらを支配するかをめぐって、人類と対立するというテーマがある。

1949年の作品、「メトロポリス」の最後は、次の文章で締めくくられている。

科学の最高芸術である生命の創造はただむだに人間社会を騒がせただけであった。おそらくいつか人間も発達しすぎた科学のためにかえって、自分を滅ぼしてしまうのではないだろうか?

もう一つ彼の作品に色濃く流れるものは、仏教的因果応報、輪廻転生の思想である。彼は「ブッダ」を描くくらいだから、仏教思想をよく知っていたと思われるが、でも同時に、宗教が結局のところ政治の権力闘争の道具に使われるあやうさもよく描いている。

「火の鳥」の中で印象的だったのは、奈良時代を描いた「鳳凰編」:

(あの有名な奈良の)大仏建造のための資金集めに奔走したあげく、結局仏教が政治の道具として使われたことを嘆いて自ら死ぬ僧がこうつぶやく。「宗教など、くだらない。私はただ政治に使われた道具だったのだ」

それから、今から数千年(?)先未来のシャドー(影)対光一族の教団対決、そして奈良時代の狗族対仏教の対立を描いた「太陽編」:

それまで虐げられていたシャド―が権力を握ったとき、その指導者はこう言い放つのだ。

続きを読む

[読書]
[社会]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット