顔がなかった子供(小学生)時代
2024-05-14


[イベント]

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2024年5月16日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで



ダグラス・ハーディングは、人間が、世界と自分をどのように認識するかを、次の4段階に要約している。

第1 段階(幼年期)赤ん坊は世界と同じくらい広がっている。
第2段階(子供時代)自分の顔と空間の両方をもつ。
第3 段階(大人時代)完全に顔と一体化し、顔で空間をふさぐ。
第4段階(自分の本質に目覚める)他人から一人の人間として見られていることを知りつつ、目覚めた空間であることに気づく。



ここ数年、自分の人生で上記の第2段階(概ね小学生時代)と、第3段階へ移行した時期を明確に思い出している。

第2段階であった子供(小学生)時代の一番楽しい、感情的に盛り上がった思い出は、親戚の子供たち(昭和の時代は、子供が多かった)と一緒に遊んだことだった。夏休みや冬休みに、お互いの家を行き来し、海水浴にみんなで行ったり、セミやトンボを捕まえに行ったりとか、公園で鬼ごっことか、トランプ、花札、ボードゲームをみんなでやって盛り上がった。

そういった時間がなぜあんなに楽しかったかと言えば、そこに「自意識」がなかったからだ。つまり、そういうとき、私たちは自分の顔で世界をふさいでいないので、明確に世界が見えていて、ただ在るのは、場面の中に他の子供たちや大人たち、そして向こうに見ているものに対する自分の思考や感情だけだった。

もちろん、その感情の中にはときには、悲しみや怒りも不快感もあったが、「私が怒っている」とか、「私が悲しんでいる」ではなく、ただ「悲しい」、ただ「怒っている」、ただ「苦痛」、あるいは、「うれしい」、「楽しい」、「(ゲームに勝って)ヤッター」みたいな感じだった。中心に顔がないので、感情や思考は瞬間瞬間、流れては去っていくだけで、重く蓄積したりはしなかった。


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