日本では高齢者の増加にともなって、医療費もものすごいスピードで伸びている(私もここ数年、医者から薬を処方してもらっている身である)。それで政府も、人数の少ないところから(=選挙に影響が出ないところ)から、医療費の削減を目指そうとして、「高額医療費の自己負担額の引き上げ」が先日国会で議論された。
しかし、日本の医療費の削減って、まず終末高齢者に対する不要な延命治療をやめる、そして、(延命治療をやめる場合に、医者が刑事的に訴えられないように)法的整備をすることあたりから始めるべきではないかと、私は思っている。もう回復の見込みのない老人たちを寝たきり状態で生かしておくことに、どれだけの医療費が使われていることだろうか。高齢世代の福祉や医療のためばかりに税金が使われているという、若い世代の不満ももっともなことだ。
最近、『欧米に寝たきり老人はいない』(宮本顕二・宮本礼子著 中央公論新社)という本を読んで、欧米では、終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は非常識で、むしろ人権侵害であるというあたりに私はかなり共感した。なぜ人権侵害かと言えば、それは本人にとって、ひどい苦痛となるからだ。本書では、2007年にスウェーデンの高齢者医療を見てきた著者たち(お二人ともお医者さん)が、今後の日本の終末医療について考察と提言をしている。
私も会員である、「日本尊厳死協会」の会報には、「親、夫や妻をこんなふうに看取りました」という読者の投稿がたくさん掲載されている。亡くなった人たちが「日本尊厳死協会」の会員である場合、家族は医者や医療機関に「本人の意志で、延命治療を希望しない」ことを強く伝えると、今ではたいてい病院や医者も理解を示し、本人や家族の希望通りにしてくれるという。
しかし、なかには、本人が植物状態になって、家族が、経鼻経管栄養(チューブによる栄養)を流すのをやめて欲しいと頼んでも、病院側から断られることもあるという。
もし今、若者、中年、老年の健康な人たちに、「回復の見込みがないときに、あなたは寝たきり状態で、長く生きたいですか?」とか、「胃ろうして生きたいですか?」と質問したら、ほとんどの人が、そんなふうにして「長生きしたくない」と答えるだろう。
だから、政治家の皆さんが、「寝たきり老人ゼロの国」のための議論を始めて、国民にも考えてほしいと言ったら、それは世代間の対立なく、みんなに関心をもってもらえる話題だろうし、「医療費の削減とより人間らしい死」が両立する社会が実現すれば大変によいことのはず……。
しかし、「はず……」ではあるが、日本で実現するにはまだまだ長い年月がかかるだろう。
その理由は、「終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は非常識で、むしろ人権侵害である」という考え方は、長い間の日本人の考え方――いかなるときも延命は善であるという医学的倫理価値観、まだ延命治療をすれば生きることができる人を、早く死なせることへの家族の罪悪感などに、価値観の転換を迫るからだ。
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