人間は考え方、価値観を変えることに非常に抵抗する生き物である。加えて、医療機関や介護施設の都合(←「寝たきり老人」や「胃ろう」は儲かるという身も蓋もない話)なども聞いたことがある。そういった様々な複雑な事情が絡み合って、「もう回復しないことがわかっているときには、安らかに死にたい」という願望が実現しにくい社会となっている。
終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は人権侵害であるという考えに私が納得するのは、父が亡くなる前の最後の数か月病院に入院していたとき、自分でもうほとんど食事もとれず、点滴栄養を受けていたときの様子を思い出すからだ。父は「痛い」とか「苦しい」とは絶対に言わない人なので、いつも黙って耐えていた感じだった。私たちは、父が医者と西洋医学をとても信じていたので、「病院で死ぬことが父の望み」と単純に思っていたが、父が亡くなったあとで、最後の1ヶ月くらいは自宅で看ればよかったのかもと後悔した。
さて、昔の後悔はさておき、母の場合(まだ一人で食事はできるし、食欲も衰えてはいない)、心安らかに平穏に看取ることができるのかどうか、家族にも覚悟が問われる感じである。
「日本尊厳死協会」サイト
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