[ お知らせ]
『静寂の雷鳴』(ジョエル・ゴールドスミス著) 電子書籍版発売
U.G.クリシュナムルティの『悟りという謎』(原書タイトル「The Mystique of Enlightenment」)の翻訳をYoutubeに公開し始めてから約1年。私は相当くたびれてきた(笑)。一つの企画を1年くらい続けると、飽きっぽい私はだんだん自分が退屈してくる。でも毎回熱心に視聴してくださる100人前後の人たちのために、なんとか本の最後まで公開しようと思っている。幸い、翻訳はすべて終了し、あとはそれを動画にする作業が残っているだけだ(あと残り3分の1くらいです)。
今回「The Mystique of Enlightenment」を丁寧に読んで、初めて強く思ったことは、U.G.クリシュナムルティはJ. クリシュナムルティを激しく否定してはいるが、J. クリシュナムルティを完全に理解したほとんど唯一の人だということだ――J.クリシュナムルティは生涯の終わりに、「自分の言うことを理解した人は一人もいなかった」と嘆いたと伝えられているが。
そして、U.G.の言っていることは基本的にJ. クリシュナムルティの言っていることと同じである。違いは、Jは積極的に講演したりしゃべったりしたのに対して、U.G.は仕方なくイヤイヤしゃべっていた、ということくらいか。U.Gは「私には何も伝えるべき教えはない」と言っているが、彼が本の中で繰り返し語っていることがいくつかある。それをまとめてみると:
*先生も本も伝統的教えも修行もいわゆる「覚醒」へ導かない。
*私の話も言葉もまったく役に立たない。
*私に起こったことと、過去の修行は無関係。
*セックスなどの快楽を否定したからといって、「覚醒」が起きるわけではない。
*そもそも「覚醒」を達成する方法はない。
*私の状態は感覚が最高に機能している状態(自然の状態)だが、それは宗教的なことや神秘的なことではなく、生理学的なことである。
*一人一人の人間はユニークであるのに、それぞれの社会の文化的宗教的重荷のせいで、人はそのユニークさを生きることが妨害されている。
*その重荷から解放されれば、一人ひとりはユニークな「花」となる。しかし、その文化的宗教的重荷から人は自分の意志で自分を解放できない。
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