神マインドに目覚める(2)ラメッシ・バルセカールのユニークな教え
2010-02-21


本日は、ラメッシ・バルセカールの生涯とその教えについて簡単に書いてみたい。

ラメッシ・バルセカール(Ramesh S.Balsekar 1917〓2009)は、1917年にインドの中流家庭に生まれた。イギリス留学後、インド有数の銀行に勤め、最後は頭取になって手腕を発揮した。銀行を定年退職後、長年の関心だった「私とは何か?」を本格的に探求し始め、ほどなく同じ町に住むニサルガダッタ・マハラジに出会い、覚醒。以後、死ぬまで(昨年の9月に92歳で逝去)数十年間、ニサルガダッタ・マハラジの教えの継承者として、ムンバイの自宅や欧米で、真実の探求者にサットサン(「真実と交わる集まり」くらいの意味のアドバイタ哲学の用語)を行う。私生活では、ゴルフ等、スポーツの愛好家であり、よき父親、夫、祖父だった。(彼の生涯や英語の著書についての詳細は、次のサイトに掲載されています。[URL]

ラメッシ・バルセカールは、欧米では、「最後にたどりつく先生」という異名があり、その意味は、色々な先生、色々な修行の場をまわって、それでも満足できない人たちが最後に教えを請う先生という意味である。だから、彼は有名にはなったけれど、実際に彼に会いに行く人は、他のインドや欧米のカリスマ的導師たちに比べれば、それほど多くはない。

彼の自宅(ムンバイの一等地にある高級マンション)でのサットサンは、私が会いに行ったときで、参加者は毎日20人程度であった。彼の自宅でのサットサンに参加した人はたぶん、そのことを非常に幸運に感じたはずである。なぜなら、少人数なので、彼は、一人一人にとても親しく話してくださるからだ。一応場所がインドなので、彼を自分の導師だと思う弟子のような人たちはたくさんいるが、ラメッシの自宅は、インドによくありがちな、導師―弟子というガチガチした雰囲気が一切ない場所で、初めて来た人でも誰でも気軽にラメッシと話をすることができた。彼は、普通で上品でカジュアル(格式ばらない)という形容がピッタリな人だった。

ラメッシの教えの基本観念は、次の数行にまとめることができ、彼の話は、すべてその基本観念にもとづいている。

*存在するすべては、意識である。

*神の意志でなければ、何事も起らない。

*出来事は起こり、行為はなされるが、それに関する個々の行為者は誰もいない。

*「私は在る(I AM )」以外は、何も真実ではなく、私の言うことも含めて、どんな宗教の聖典、聖者、賢者、教師、学者、どんな人が語るどんな言葉も、真実ではなく、観念にすぎない。

だから、ラメッシの教えを理解するとき、何が起きても、よいことも悪いことも、「私のせいで(おかげで)、あるいは、某誰々のせいで(おかげで)――が起きた」とは、言えないのである。

すべてはただ一つなるもの、One Mind (それを神と呼ぼうが、宇宙と呼ぼうが、意識と呼ぼうが、「それ」と呼ぼうが、Xと呼ぼうが、何でも名前はお好みであるが)の意志のせいであり、スピリチュアルな理解・成長から、日常的なことまで、すべてはその「一つなるもの」の意志が運営している。

そのことを理解すると、どういうことが起こるかというと、まさにラメッシの言うとおり、

プライド、罪悪感、憎しみ、妬みがなくなって、人生はシンプルで平和になる。

ただし、「シンプルで平和」とは、人生の苦痛がまったくなくなるという意味ではない。ラメッシは、ほとんどのスピリチャルな探求者たちが、苦痛のない境地(=「悟りとか涅槃」と呼ばれている境地)を求めていることをよく知っているので、自分の教えに期待させないように、しばしばこうも警告する。

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[精神世界]

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