日本人と英語(英会話)(2)
2010-05-24


「日本語を母語とするこの国に住んで、英語が話せるようになるなんて、不自然きわまりないことです。その不自然なことが自然に身につく道理はありえません」と著名な英語同時通訳者で英語教育家でもある國弘正雄氏は、その編著(英会話・ぜったい音読入門編――講談社)で述べている。

國弘正雄氏といえば、私が高校時代に、テレビ英会話の講師をされていて、その華麗で知的な英語に私はものすごく憧れ、さらに当時ベストセラーとなった「英語の話し方(サイマル出版)を読んで、もっと憧れ、ファンレターまで書いたことがある。國弘氏は丁寧にお返事をくださり、私はそのハガキを長い間宝物としてもっていた。

國弘氏は、現在の英語ブームを憂え、前述の本で、さらにこう書かれている。「私は昨今の英語ブームを憂いています。英語学習者の皆さんにも、同情の感すら覚えます。世の中がいまのように英語教材であふれかえっていては、英語を本気で学習しようとする皆さんまでが、あちこち目移りして、いたずらにあれこれ手を出すだけで、一つとして何を完成させず、実をむすべないままに終わってしまうことを心配するからです」

日本にいて「英語が話せるようになること=不自然なこと」のためには、國弘氏(だけでなく、今では多くの英語教育者、英会話の先生たちも言っていることではある)は、脳に英語の基礎回路を作らなければならないと強調し、脳に英語の基礎回路ができるまでは、どれだけ英語をあびるように聞いても、難しい単語やイディオムを覚えても、英語は話せるようにならないと断言する。

言語脳は、聞く・話す・読む・書くがそれぞれ独立しているので、聞けるから、読めるから、自動的に話せたり、書けたりするわけではないことは、日本語の経験からもわかることである(パソコンや携帯の使用で、漢字を読めるけど、だんだん書けなくなるというのは、読むと書くがそれぞれ脳の中では独立していることを示している)。聞ける・読めるから、さらに話せる・書けるようになるまでには、脳の筋トレが必要であるというのが、今では専門家の方々の一致した意見である。

國弘氏が脳に英語の基礎回路を作る方法として、推薦する方法はものすごくシンプルな方法で、それは中学校の英語のテキスト(またはそれと同程度のテキスト)の音読という方法である。

高校時代、國弘氏を英語の師と仰いだ私は、彼の推薦する音読の方法でなんとか大学入学までたどり着いた感じだったし、もし大学中もさぼらずに続けていたら、学生の頃に英会話ができるようになっていたかもしれない。

音読はシンプルでお金がかからないすぐれた方法なのであるが、こういった基礎訓練の難点は、スポーツの基礎練習と同じで少々退屈であるということだろう。その退屈をなんとか克服して、一定期間根気よく基礎訓練をすれば、初級程度は誰でもできるようになると、私はそう確信している。

ただし――英語(外国語)を話すこと(使うこと)――それは國弘氏も言うようにひどく不自然な習慣である。今でも、英語を使うときには、その不自然さからくるある種のストレスを私は感じることがよくある。もちろん楽しいこともたくさんあるけれど、何十年英語に関わっても、自分がそれを得意だと思えたことが一度もない。

それだけでなく、言葉の能力は、日本語も外国語も、使用しなくなると、筋力と同じく、聞く・話す・読む・書く、それぞれ、自然に衰えていくのは、哀しいけれど、確かな事実である。だから、外国語の世界に足を踏みいれると、最低限の能力を維持するためにも、筋トレが欠かせなくなる。

この間、書店の語学コーナーの棚を眺めていたら、(確か)「英語のバカヤロー」

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