アスペルガー症候群――共感能力の違い
2010-06-10


アスペルガー症候群という名前の病気がある。どういう病気か簡単に言ってしまうと、脳に障害があるせいで、他人とコミュニケーションをとるのが困難になるという病気だ。しかし、ある特定の分野ではかなりの能力があるため、多くの人は普通に社会生活を送っている。アスペルガー症候群の人は、幸か不幸か、対人関係にエネルギーを使わない(使えない)分だけ、自分の得意分野に一点集中して、エネルギーを投資しているとも言え、―点豪華主義の脳をもっているわけである。

最近、マスコミでもこの病気を取り上げることが多くなり、病気の認知度があがり、また企業の中でも、アスペルガー症候群の人たちの特殊な能力を、仕事に生かそうという動きもあるらしい。

医学的にはアスペルガー症候群ではない人でも、他人の気持ちがほとんど理解できないアスペルガー症候群的な人たちは多くいて、昨年のブログで言及した、達成マインドは発達しているのに、理解マインドが発達していない人の中にも、アスペルガー症候群的な人たちはたくさんいる。

アスペルガー症候群やアスペルガー症候群的な人な一般的な特徴は、

*特定のことに対する抜群の記憶と能力。
*それ以外のこと、他人に対する無関心、無理解。
*世の中で言うところのKY(空気を読まない・読めない)
*他人の心を想像・理解する共感能力の欠如。(共感能力はないけど、反社会的でもなければ、他人や世の中を憎んだりしているわけでもない。内面は、心優しい人が多い)

共感能力――つまり、他人の心を想像したり、理解したり、自分を他人の立場に置いて考える能力が、他の動物にはない人間の大きな特徴の一つだと言われている。

人間の社会では、人は一般的共感能力があるという前提で集団が運営されているので、他人と関わるあらゆる場面で人は、「こう言えば、この人はこう感じるはずだから、これは言わないでおこう」とか、「今、この状況で自分がこういう言動をするのはまずい」とか、「あの人は言葉ではああ言っているけど、本当はこう思っているに違いない」というような、他人の心を類推する作業をやるように暗黙に求められている(本当は、みんな面倒くさいとは思っているけど)。

ところが、脳の障害のためにこういった類推作業をしないというか、できないのが、アスペルガー症候群も含めた自閉症の人たちで、彼らは、共感能力が前提となっている社会の中での人間関係に困難を覚えている。

以前見たあるアメリカ映画で、アスペルガー症候群らしい天才学者が、酒場で、女性に一目ぼれして、いきなりその女性に、「僕とsexしませんか?」(正確なセリフではないかもしれないが、だいたいこんな表現)と言って、女性にびんたされ、呆然する場面があった。

彼は、自分がなぜ女性の気分を害したのか、まったく理解できない。彼にしてみれば、悪意があるわけでもなく、からかっているわけでもなく、相手の女性を魅力的に感じ、純粋にそうしたいと思ったから、単純に相手に尋ねただけのことだ。しかし、世の中の一般常識では、アメリカでも日本でも、初対面の女性に向かって、いや、初対面ではなくても、「僕とsexしませんか?」は、たとえ、丁寧に尋ねてもまずい……はず。

自我が形成される前の子供たちは、みな多かれ少なかれ、自分の感じたままを大人に言ったりするものである――「嫌い」「臭い」「あれ、欲しい」とか、「ヤダー」「あっちへ行って」とか――大人が言えば、ヒンシュクを買うような言葉でも、子供が言えば、ほほえましく聞こえたりもする。

普通の子供は、成長するにつれて、他人の気持ち・行動を少しずつ想像・理解・予測できるようになり(自分がこう言えば、こう行動すれば、相手はこう感じるだろう、こういう反応をするだろうみたいな)、また言葉は、それが使われる文脈・状況に応じて意味が変わることも理解するようになる。

以前読んだ自閉症関係の本にこういう話が書いてあった。

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