感情の研究(3)思考=感情
2013-06-15


90年代、私が運営していた出版社も、そういった感情的ゴミを吐き出したい人たち(ほとんどの場合、一度も会ったことのないまったく見知らぬ読者の人たちである)のターゲットになって、私は非常に困惑したものである。私が出版した本が何かの刺激になってしまったせいなのだろうが、わざわざ近づいてきて、非難するタイプの人たちにそれまで出会ったことがなかったので、本当に驚いた。もちろん、同じくらい称賛もされたが、称賛と非難は表裏一体ということもイヤというほど知らされた。愛や許しなどのスピリチュアルなことを学んでいるにもかかわらず、たかが本1冊の存在も許せない人たちがいることが不思議であった――もし誰かや何かが不愉快で、自分に害や苦痛を与えると思う場合は、普通は、近づくよりも、一刻も早くできるだけ遠くへ離れるべきだし、本が有害だと思うなら、ゴミ箱に捨てればいいだけ、なのである。

スピリチュアルな世界には、「あなたの世界の終り」にも言及があったけど、自分に正直にであるとか、ありのままの自分自身でいるということを、自分の感情的ゴミを相手にぶちまけてもいいことだ、と誤解している人たちがたくさんいる。もちろん、相手と状況によっては、ケンカをすることも楽しいことではあろうが、人間関係の礼儀としては、感情的ゴミは各自持ち帰りが原則である。

では、どうしても感情が大量に湧き上がって、苦しいときには、どうしたらいいかといえば――苦痛や混乱がかなり重症の場合は、そういうことを専門的に扱うカウンセリングやセラピーを、私はお勧めする(20代の頃、私も感情の問題を扱うセラピーを受けたことがある)。財政的余裕がない人の方法としては、人のいない場所(海岸、森、風呂場などで)で叫んで感情を吐き出すなどの方法がある。私自身は、安上がりなので、風呂場を愛用する。たとえば、「神のバカヤロー!」と叫んで、気分が落ち着いたら、「神様、先ほどは失礼しました。本心ではありませんでした」と、小声でそっと謝る(笑)とか。神は許しの大家だから、神の悪口を言っても、問題ないようである。

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