感情の研究(2)罪悪感の裏側
2013-05-19


今回は罪悪感について。

罪悪感については、二年前に一度、書いたことがあるので、そちらも合わせてご参照ください。
罪悪感の三段階(1)
[URL]

罪悪感の三段階(2)
[URL]

嫉妬と同じく、罪悪感もしつこく居座る、イヤな感情で、それゆえに罪悪感はしばしば抑圧される傾向にあり、他の何かに転化されやすい。

嫉妬を感じるとき、人は自分が劣等な側にいることを感じさせられると前回書いたが、人が罪悪感を感じるときは、文字通り、自分が「罪と悪の側にいる」ことを感じさせられる。

罪悪感に関して興味深いことは、罪悪感をよく感じる人とほとんど感じないか、まったく感じない人がいるということだ。上記の罪悪感の三段階(1)で、動物や犯罪者は罪悪感を感じないという話を書いたが、普通の人たちの中にも、自分が何をしても何を言ってもほとんど罪悪感を感じない人たちがいる一方、自分の言動の一つ一つが気になり、クヨクヨと罪悪感に悩む人たちもいる。

自分の言動に罪悪感を感じない人たちのよくあるタイプが、自分の言動をあまり深く内省せず、感じたままで物を言い、そしてすぐ忘れるタイプだ。こういうタイプの人は基本、他人の感情領域に鈍感で、「自分の言動はいつも正しい」と信じて疑わないタイプである。こういうタイプの人に、誰かが、「この間、あなた、私にこんなこと言ったでしょう? 私、すごくイヤな思いをした」みたいなことを言っても、たいていの返答は、「え? 私、そんなこと、言ったっけ?」か、あるいは、「そんなこと気にするなんて、あなたのほうがおかしいんじゃない?」みたいな返答となる。うらやましいほどの「短期記憶」(笑)である。

なぜこのタイプの人たちは、そんなに「自分の正しさ」を主張しなければならないのかといえば、それはそう主張しないと、反対の側、つまり、「罪と悪」の側に転落する恐れを非常に強くもっているからだ。本当は、そういった人は罪悪感をもっていないのではなく、何かについて非常に強い罪悪感があって、もしそれを感じたら、生きていくのが非常に辛くなるので、罪悪感を抑圧して、自分を正しい側に置くことで、精神のバランスを保っている。あるいは、普段はめったに自己主張しない人でも、特定の何かに関して、「自分の正しさ」をどうしても主張せずにいられないときがあれば、その背後に無意識の罪悪感があることを疑ったほうがいいかもしれない。「罪悪感と自分への非難」は、抑圧されると、「自分の正しさと他人への非難」に容易に転化されるものである。

精神の進化から考えれば、以上のような罪悪感を感じない人たちよりも、罪悪感を感じる人たちのほうが、進化しているとは言える。

つまり、他人の立場や気持を思いやる気持ちが芽生え、自分の言動を深く内省するようになるからこそ、罪悪感を感じるわけで、罪悪感は、より多くのことを感じられる感受性の進化と向上心と記憶能力の増加のおかげでもある。


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