ヤン・ケルスショット
2017-06-06


 先日、ヤン・ケルスショットのセミナー&ワークショップに参加してきた。

私が日本国内でスピリチュアル系のセミナー(ワークショップ)に(自分が主催するもの以外で)参加するのはものすごく久しぶり(たぶん、15年以上ぶり)である。突然、ダグラス・ハーディングとも縁の深いヤン・ケルスショットの話をちょっと聞いてみたい気分が起こったからだ。

セミナー&ワークショップの最中、時々睡魔が邪魔して記憶があやふやなところもあるが、二日間の話をまとめて書いてみよう。

まず彼はノン・デュアル(非二元)の教えとはどういうものかを図解入りで説明した。

彼が言った要点を箇条書きすれば、

*私たちの本質であるスペース(空間)はどこにでにある。(彼はいわゆる宗教的な用語は好きじゃないので、自分の本質を指す言葉として「スペース(空間)」という言葉を使うということである)

*それは達成されることも変えられることも、汚染されることもなく、永遠にある。
それはどこにでもあるので、それについて話すことに困惑を覚えるほどである。

*たとえを使って説明すれば、一人ひとりの人生とは、どれほど偉大な人のものでも平凡な人のものでも、海の一つ一つの波のようなもので、それぞれ違っていて、わずかな時間しか存続しないが、その元にある海洋はすべての存在に共通し、永遠である。

*その本質の世界(ノン・デュアルの世界)では:no identification(アイデンティティがない)、no time(時間がない))no judgemen, no labeling(判断がない、上下がない、レッテル貼りがない)

*眺めている観照者は個人ではなく、非個人的スペースであり、私たちは全員がいつもそうしているが、ただ気づいていないだけである。「一人の」個人的観照者がいるという思い込みは、進んだ霊的探求者がよく陥る間違いである。

*ノン・デュアルの教えは、セラピーやヒーリング・メソッドではなく、人間状況の改善を目的とはしていないが、自分とは何かに目覚めれば、その副次的効果として、人間的状況にもよい影響があるかもしれない。

*人間のちっぽけな理性(マインド)、脳では、「私の本質」を理解することも描写することもできない。

「私とは何か?」について、彼が語ったことはだいたい以上のような話だった。ノン・デュアルの教えの本質についてコンパクトでわかりやすい説明だと思う。

それから彼は、霊的探求の一般的プロセスを語った。

*人生のある時期に、人生には物質的な生活以上の何かがあるはずだと思い、人は霊的な探求を開始し、自分を高める様々な修行やテクニックを学ぶ。 探求者であるというスピリチュアルなエゴが生まれる。

*そしてそのエゴは、自分がいつか完全な状態や仏陀のような完全な人になれると思い込み、頑張るが、それが達成されず、いつも挫折感を味わう。

*色々なところへ行くたびに、それぞれの先生や教えが様々なことを言うので、色々と考えてしまい、混乱に陥る。

*しかし、混乱は起こるのは悪いことではなく、それはエゴが混乱し、探求が進んでいるという意味である。

*最後にようやく、自分の本質(スペース)とは未来に達成するべきものではなく、今ここに永遠に誰にでもあるもので、悟ったり、目覚めたりする「人」は誰もいないという現実に目覚める。


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[精神世界]

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