カルマ(1)
2019-01-31


たまに、「カルマって、あるんですか?」とか、「カルマって、何ですか?」というような質問を尋ねられる。スピリチュアルな探求者の方々は、その人がどんな種類の教えの元で学んでいても、私も含めてたいていカルマの話題に関心をもっている。

まず、「カルマって何ですか?」への私の答えは、「人間肉体精神器官が行なったことの影響」というものだ。もっと平たく言えば、「人間物体としての自分が行なったことの影響が、戻って来る」というブーメランのようなものだと思えば、わかりやすい。

そして、「カルマって、あるのですか?」への答えは、「イエス」である。人間肉体精神器官にはカルマがある――私がそう言うのは、本からの知識と人生経験からの両方から来ている。

仏教ではカルマを「業(ごう)」と呼び、次の三つに分類するそうだ。(という話を、先日参加したある仏教の講座で教わった)

1.身業(しんごう)…体で色々やること。
2.口業(くごう)…口で色々しゃべること。

3.意業(いごう)…心で色々思うこと。

上記の1と2については説明もいらないと思うし、スピリチュアルな探求をしていない人たちでさえ、身体を通じた行為、言葉による行為の善悪をよく知り、(自分がしたことが自分に返ってくるという意味の)因果応報とか自業自得などという仏教系の言葉は庶民レベルでもよく使われている。

問題は、3の「意業(いごう)…心で色々思うこと」で、スピリチュアルな探求を始めて、人はようやくこのレベルを意識する。自分のマインドの中に日々、毎瞬、どんな思考や感情が湧き起っているかに気づくことは、それそのものが大変な修行で、瞑想である。

1と2のレベルでは善人でとおり、自分でも善人だと思い込んでいる人たちの中に、3のレベルでは憎しみ、悪意、嫌悪、優越感、劣等感、プライド、罪悪感、嫉妬、いわゆる負の意業を蓄積している人たちが世の中には非常にたくさんいる。というより、自分のマインドに気づかないかぎり、誰でもこういった無意識の負の感情の奴隷になってしまいがちである。

このレベルのカルマはどう作用するかと言えば:

たとえば、自分の世界にあるもの、自分が日々目にするもの(家族、隣人、同僚、仕事など)を嫌いながら、憎みながら、生きているとすれば、その嫌悪や憎しみは自分への「攻撃」となって将来戻って来る可能性が高いということだ。ここで「可能性」という言葉を使うのは、そういったカルマの法則は絶対ではないし、必ずしも本人に戻ってくるわけでもないからだ。

ただ、今言ったことは、私自身の経験からも、そしてある程度長い期間(数十年くらい)知っている人たちの人生を眺めて、おおむね確信したことである。

世の中には、「自分はこんなに善人で、他の人のために尽くしてきたのに、なぜ他の人から、家族から親切にされないのか、なぜ自分はこんなに不幸なのか?」と嘆いている人がいる。不幸とまではいかなくても、不満を抱いている人はさらに多くいる。私にも高齢のそういった知り合いの方がいる。長年一生懸命家族のために働いたあげく、高齢で家族との不和はお気の毒な感じなのだが、たぶんその方の心の中の長年の意業の影響かもしれないと私は想像している。

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[精神世界]

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