カルマ(3)
2019-02-26


前回と前々回、カルマに関して、私が今までの人生で経験したり、学んだことを自分に納得できる範囲で書いてきた。

しかし、カルマの話題は実は膨大で複雑で、本当のところ、よくわからないというのが正直なところだ。たとえば、何かが起こって、「そういえば自分は昔、こういうことをよく考えていたなあ」と過去の思考と現在起こったことの因果関係に納得することもあれば、「どうしてこんなことが起こるのだろうか!」  と、どう考えても過去との結びつきを見つけられないこともある。

あるいは、いわゆるよいことにしろ、悪いことにしろ、他人(親とか親族とかその他の人間関係)のカルマを刈り取ったように見える場合もある。反対に自分が撒いたもの(自分のカルマ)を他人が刈り取ったように見える場合もある。

さらに、中には前世からのカルマについて気にする人たちもいる。人に前世があるのかどうかも複雑な議論である。前世かどうかはさておくとして、私が納得していることは、人はまっさらな状態で生まれてくるわけではなく、非常にたくさんの過去の影響をすでに背負って生まれてくる、ということである。
そのたくさんの過去の影響には、たとえば、親や先祖からの遺伝もあるし、もって生まれたその人特有の観念もある。

もし私たちが注意深く自分の思考や感情を眺め、さらに自分の思考や感情の底流にある生まれもったコア(格)な観念を突き止めることができれば、その観念がどれほど自分の人生の流れに影響しているかが理解でき、自分が歩んできた人生に納得できると思う。

そのコアな観念は、否定的だったり、肯定的だったり、崇高だったり、滑稽だったり、悲劇的だったりする。
このように私は皆さんに、自分の思考や感情、コアな観念を調べるようにたいていはお勧めしているが、しかし、注意すべきことは、その行為そのものがストレスになるべきではない、ということだ。ときには、こういうことを始めると、自分の考えることや感じることが一つ一つ気になったり、こんなひどいことを考えていると、将来それが起こってしまうかもしれないなどと心配したりして、かえってストレスになる場合もある。そうではなく、科学者や探偵のような興味と情熱をもってやれば、人間物体としての自分の複雑さや滑稽さに驚くことだと思う。

そして、カルマについて最終的に思うことは、ある程度理解したら、それ以上はあまり気にしないほうがいい、ということである。。現象世界によいことにしろ、悪いことにしろ、何かが起こる――究極的にはそれは「神の意志」なのだ。もし「神」と言う言葉が好きでなければ、「全宇宙の意志」と言い替えてもいい。

インドの賢者ラマナ・マハルシは、「私が右手を上げるときも、それは神の意志ですか?」  と尋ねられて、「その通りです」と答えている。

物理学でさえ、私たちが何かの力(たとえば、右手を上げるときに感じる空気抵抗)を感じるとき、「そこには宇宙空間の全物質からの影響」があるという考えを紹介している。
(「宇宙を織りなすもの」(上)ブライアン・グリーン著参照)


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[精神世界]

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