The art of spiritual healing (3)
2021-02-08



必要とされていることは、神を正しく知ることであり、そのことをあなたは、真理を黙想することを通じておこないます。あなたが神の性質について瞑想しながらその中に留まるにつれて、すぐに神の性質は愛と知性であることがわかるでしょう。神の知性と愛ある性質のおかげで、あなたが肥沃な大地にバラの種を蒔けば、あなたが望まない何かではなく、バラの花を得ることを確信できるのです。】(「2章 神は召使いか?」より

ジョエル・ゴールドスミスが生きていた20世紀前半の世界も、今の時代と同じく、パンデミック(スペイン風の世界的流行)、戦争(二つの世界大戦)、自然災害、世界的大不況などで、多くの人たちが不安と苦しみの中で生きていた。だから、多くのキリスト教徒たちは「どうか自分には、そういった災いが降りかかりませんように」と教会に行って祈ったことだろう(たぶん、今でも世界のほとんどの宗教的場所では、嘆願的祈りが多くおこなわれていることだろう)。しかし、ジョエル・ゴールドスミスが指摘するように、ほとんどの祈りが応えられないままなのは、キリスト教徒たちが、空の上のどこかに、自分とは「分離した」父親的存在がいると「信じ」、それに祈っているからだ。

スピリチュアル的な意味での祈りとは、神を知る(認識する)こと、神と人は一つであることを知ること、神と交感すること、神の中に居住し、神が確かに今ここにいて活動してることを確信することである。その意味においては、人が神を知れば、その人がどこにいても、どんな状況の中でも、聖なる大地にいることになる――そのとき、人が「問題」と呼んでいるものが、自分が望むことなく、解消され、調和が現れる――ジョエル・ゴールドスミスが祈りとスピリチュアル・ヒーリングについて語っていることを非常に単純にまとめれば、こんな感じである。

書けば簡単なことではあるが、この原理を本当に理解し、実践することはかなりの「修行」となるだろうと思う。まず、第一に、「神」を知らねば(認識しなければ)ならない、そして第二に、私たちの人間マインドの自然な傾向である、意識的無意識的「物質的状況改善のための嘆願的祈り」を超越しなければならないからだ。

「祈り」は複雑なテーマであり、前にも書いたことがあると思うが、「祈り」に関心のある人は、ジョエル・ゴールドスミスの言葉も含めて、誰の言葉も鵜呑みにしないで、自分で考えぬくべきだ。そうすれば、自分にとって「何が正しい祈りなのか」が確立するはずである。私の場合は、ジョエル・ゴールドスミスのおかげで、「祈り」についての長年の疑問を解消できたことがありがたかった。



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