The art of spiritual healing (4)
2021-02-22


今回も祈りについて、である。

もうかなり昔、私が「祈り」に関するダグラス・ハーディングのインタヴュー(下記に掲載)を読んだとき、かなり当惑したものだ。なぜなら、私はそのときはまだ、嘆願的祈り――自分自身はほとんど積極的にやったことはないけれど、他人の幸福や健康、世界の平和を祈ることはたぶん善いことなんだろうというぼんやりとした観念をもっていたからだ。

しかし、経験上、ダグラス・ハーディングの言うことは、最初は???でも、あとになれば彼の言うことはまさに核心をついているとわかることがほとんどなので、彼が嘆願的祈りをしないという理由というか、根拠を新たに考えてみることにした。

それから、様々な本を読み、あらゆる角度から考え、最後にジョエル・ゴールドスミスにたどり着いて、ようやくこの「祈り」の問題に自分なりに決着をつけたわけだ。しかし、正直に言えば、この「祈り」の問題の探求はけっこうきつかった。私はお金とか人間関係という世俗的なテーマも研究してきたが、それよりはるかにきつかった。

シンプルに言ってしまえば、私たち人間マインドが、「今よりよい生活」とか、「今の望ましくない状況の改善」を願っておこなう人気のメンタルな方法(嘆願的祈り、引き寄せの法則、肯定的宣言、エネルギー・ワーク)などは、必ずしも人生に善きことをもたらさない、あるいは、はじめは善きことをもたらしても、最終的には始めたときよりひどくなったり、何か大事なものを失ってしまうことがある――それがダグラス・ハーディングやジョエル・ゴールドスミス、その他非二元系の教えが「嘆願的祈りをしない」ということで、言わんとしたことだ、と私はそう理解した。

善い結果を得ようと思ってやっていることの結果、ひどいことが起こる――ジョエル・ゴールドスミスのthe art of spiritual healing の本の中にも、一つだけ事例が書かれてあり、それは旅行に出かける前に、「家族が交通事故に出会いませんように」と熱心に祈ったあげく、大事故に会ってしまった人の話だ。

ジョエル・ゴールドスミスは彼がヒーリング・ワークに従事し、先生として教えた長年、たくさんの奇跡的出来事や、あるいは大惨事などを見聞したり、自分でも経験したはずだが、残念ながらと言うべきか、あるいは当然と言うべきか、本にはほとんど書いていない。でもまれに実際に起きた話が書かれていることがあり、問題への彼の対応の仕方と説明がユニークで、読む側としてはとても興味深い。

それで、私が現在やっている祈りのようなもの(祈りともほとんど思っていないが)は:

*食事を食べるとき、神が目の前の「食事として」顕現していることに、驚き、感謝する。

*たまにどうしようもなく、気力がなくなったり、行き詰まったりするときは、ロバート・アダムスが教えてくれたような祈りをやることにしている――非二元系の教えでは、「お金や仕事を与えてください」みたいな祈りはダメだけど、「勇気と知恵を与えてください」はOKみたい(笑)です。


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