The art of spiritual healing (3)
2021-02-08


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人間は「祈る生き物」である。「祈る」とは宗教的行為のように思われているが、宗教的であろうがなかろうが、スピリチュアルな探求をしていようが、そうでなかろうが、ほとんどの人が祈るものだ――意識的、あるいは無意識的に。

「祈る」という言葉をもっと世俗的言葉に言い換えるなら、「願う」ということであり、さらにもっと物質的言葉を使うなら、「欲しがる」ということである。そして、「祈る」ことに関して、もう一つ気づくべきことは、それは普通、「今ここにない何か」を願って(欲しがって)祈る、あるいは、未来のあるときに何かがあることを願って(欲しがって)祈る、ということである。

もっと具体的に書けば、たとえば、コロナの感染が拡大すれば、「どうかコロナが収束しますように」、大雪が降れば、「雪がやみますように」、大雨が降れば、「雨がやみますように」、家族や親しい人が病気になれば、「病気が治りますように」、子供が受験なら、「子供が志望校に受かりますように」、お金に困っているなら、「お金がもっと入りますように」、あるいは「この問題が早く解決しますように」などなど。

それを誰に祈るのかは、人それぞれで、欧米の人たちであれば、ほとんどが「神」に、日本人であれば、神社仏閣、祖先、阿弥陀仏などに、そして特に宗教的でない人たちは、なんとなく無意識にただそう思うだけである。そして、「祈る」ことに関するもう一つのポイントは、ほとんどの人たちがそういった祈り(物質的状況改善のための嘆願的祈り)は「善い行為」だと信じていることである。

The art of spiritual healing では、「祈り」は非常に重要なテーマで、ジョエル・ゴールドスミスは多くのページを割いて、「真正なスピリチュアルな祈りとは何か」を説明している。彼はまず、2章「神は召使いか?」の章で、多くのアメリカ人が神を、「自分の願いを叶えてくれる召使い」の役割に貶めていると指摘している。神を召使いにするとは、先ほど書いたような、物質的状況改善のための嘆願的祈りを神に対してすることであり、それはスピリチュアルな祈りではない、と彼は断言する。

The art of spiritual healingから、少し長いが一部引用すれば:

【自分の自己が巻き込まれるとき、彼らは神に向かって言うのです。「ああ、神様、私のためにこれをやってくれませんか? 私や私の家族を守っていただけませんか? 私や私の家族を癒していただけませんか? 私と私の家族に食料と衣服を送っていただけませんか?」と、いったようにです。

もちろん神はそういった祈りには応えないのです。神はこの地球上のすべての人々が消費できる以上の食料を、大地でも海でも提供しました。神にもっと多くを祈っても無駄です。神の仕事は初めに為され、神はそれを善きものと発見しました。あなたや私自身の利益のために、あなたや私の国家のために、あなたや私の家族のために、神の宇宙を変えさせようとすることは無駄なことです。もしあなたが神の恩寵を経験したいなら、神と提携し、今それが流れているままに、そして、常にそれがあり、常にあるだろうがままに、神の恩寵を受け取ることが必要です。

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