イエス・キリストのこと
2022-12-24


ここ数年間、ジョエル・ゴールドスミスの本の翻訳出版のため、聖書(新約&旧約聖書)を読むことが多かった。最近は、もうキリストの教えでお腹いっぱい(笑)で、かなり限界に近い(でもまだジョエル・ゴールドスミスの本の最終編集作業が残っているので、もう少し頑張らないと、です)。

イエス・キリストについて、長い間、私は一つのことが気になっていた。なぜ彼は磔を逃げなかったのか? ということだ。つまり、私が思った疑問は、イエス・キリストほどの霊能力、予知能力があれば、自分が磔にされる危険性はあらかじめ察知できただろうに、なぜ逃げなかったのだろうか? 彼を愛するマグダラのマリアと二人で遠くへ逃げて、暖かい家庭でも作ったほうがよかったのではないか(笑)……イエス・キリストについての物語を読むたびに、時々そういったどうでもいい疑問が心に浮かんだものだ。

昔読んだミステリーだったと思うが、イエス・キリストとマグダラのマリアが実は結婚していて、子孫が現在まで生き残っているというヨーロッパに伝わる伝説を織り込んだ話があった。イエスとマリアが一緒になって子孫を作ったという話は、私だけでなく、多くの人たちも考えたことだったのだと知った。

しかし、「イエス・キリストが磔で死ぬ」、この悲劇の物語がなければ、イエス・キリストの教えはこれほど世界に広まらなかったことだろうし、イエス自身も自分が磔で死ぬ意義を悟って、「神様、わかりました。仕方ありませんね」という感じだったのだろう。

イエスの磔をめぐる物語の登場人物で、私には特にピラトとユダが興味深い。その理由は、この二人はどこの世界にもどこの時代にも、そしてたぶん、どこの組織にも見かける平凡な人たちだからだ。ピラトは古代ローマ帝国からユダヤ属州に派遣された行政長官で、「面倒なことにかかわりたくない、責任はとりたくない」という小心な役人というイメージだ。保守的ユダヤ教徒から、「『神の王国』とか言いまわっているイエスという男がいるから、逮捕しろ」と訴えられて、「宗教的もめごとなんて、ああ、面倒!」と思いながら、保守派の圧力に押されて、イエスを逮捕する。

もちろん、イエスの弁明、「『私の王国』はこの世のものではない」をピラトが理解できるはずもなく、「『王国』などと言う人間は、国家に反逆的な人間で、危険人物である」と、結局はイエスの磔を決める。そのときでさえ、自分が責任を取るのが嫌で、ユダヤの大衆に、「お前たちは、この男をどうしたいのか?」と尋ねる始末だ。「いいですか、磔を決めたのは、私ではなく、皆さんが望んだことですからね。それをよく覚えていてくださいね」みたいな感じで、小心で臆病な役人の典型である。実際、彼はイエス・キリストの奇跡の能力を聞いて、あとで自分に天罰がくだるのを恐れたのかもしれない。

もう一人の人物、ユダはイエスの側近だったが、イエスの教えをまったく理解せず、自分を、他の弟子やイエスと比較して嫉妬に苦しみ、しかも、『王国』とか言い出すイエスにしだいに疑心暗鬼を募らせ、ついにイエスをお金で「売る」ことを決心する。嫉妬心と疑心暗鬼がタイアップするユダの内面は、前にも紹介した、太宰治(若い頃の私の愛読作家の一人)の小説、

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[精神世界]

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