The Thunder of Silence(3)
2022-11-04


[コメントをいただいたかとう様へ]
私も日常生活では、ほとんど「許す」という言葉は使わないですし、キリスト教が教えるように、
「人を許せ」と言われて、自分の意志の力で許せるものなのか、疑問にも思っています。ラメッシが言うように、最初に湧く感情、たとえば、「許せない、許したくない」という感情は、誰にもコントロールできず、ただ私たちにできることは、そういった感情に気づき、その感情を増幅しないこと、そてしその感情にもとづいて「行動しない」ことくらいかと、思います。



1神とは何か?
2善悪という二つのパワーを超越する。
3「カルマの法則」から、「神の恩寵」への移行。
4新約聖書の山上の垂訓のメッセージ。


本日は、The Thunder of Silence(静寂の雷鳴)の上記のテーマのうち、「善悪という二つのパワーを超越する」を説明してみよう。

人間の人生は、日々出来事で構成されている。人間のマインドが善い、楽しいと考える出来事、人間のマインドが悪い、ひどいと考える出来事、そして、平凡で普通の出来事。自分に関する出来事もあれば、世の中、世界に関する出来事もある。

そして、「善悪という二つのパワーを超越する」とは、日常的な言葉で言えば、そういった「日々起こる出来事に、これは善い、これは悪い、という善悪の判断をしない」ということである。そして、「出来事や人々を憎むな、許せ」ということでもある。

日々起こる出来事には、戦争、災害、コロナのようなパンデミック、物価高などの世界情勢や日本という国の情勢に関することもあれば、自分個人に関すること、失業、病気、事故、人間関係の問題など、あるいは財布やスマホを落とす、パソコンが突然壊れるなどの出来事もある。もちろん、お金をたくさん手に入れたとか、好きな人と結婚するとか、子供が生まれたとか、望む就職ができたとか、人間のマインドが判断する善い出来事の場合もある。ジョエル・ゴールドスミスが言っていることは、「そういった出来事にいちいち善悪判断をするな」、「関わっている人たちを許せ、憎むな。反対に、称賛もするな」ということである。

書くには、簡単であるが、これを日々実践するのは、けっこうな「修行」となるだろうと思う。なぜなら、私たちのマインドは、あらゆること、世界情勢から日本の経済政治状況、そして、自分の日常生活に起こる出来事について、いつも善悪判断するようにプログラミングされているからだ。

そもそも私たちの肉体の基層にある免疫機能は、体にとって「悪」、「非私的なもの」が体に侵入しないように常に警戒し、万一侵入したら、徹底的に戦うという機能を担っている。つまり、常に善悪判断をし、常に「私」と「非私」を分離し、区別するという仕事をしていて、そのおかげで、私たちは肉体の健康を保つことができている。


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